アゴタ・クリストフの小説技巧

発表者:

塩谷 祐人

 

日時: 

2019/06/22

場所: 

明治大学(駿河台)研究棟 第4会議室

発表要旨;

  ハンガリーからスイスへ亡命したアゴタ・クリストフ(Agota Krisfot, 1935-2011)は、『大きなノート』(Le Grand Cahier, 1986, 邦題『悪童日記』)で一躍有名になった作家である。彼女のフランス語による執筆は簡素で乾いた文体を生み、それは大戦中のハンガリーを冷静に見つめる子どもの語りとして作品中で活かされている

しかし初学者が習いおぼえるような単純なフランス語書いているものの、クリストフ様々な工夫を凝らしていることも見逃してはならない今回クリストフが登場人物の会話の文体を調整しているという「聞くこと」に関する工夫と3つの視点を巧みに切り替えながら物語を描写しているという「見ること」に関する2点に着目して発表を行った

 

1:クリストフが話し言葉を綴る時、大きく分けると二つの工夫をしている。1つはあえてまわりくどく書くこと。もう1つは間違えた文法で書くことである。しかし外国語であるフランス語ではその工夫にも限界があり、ある種のルールを定めて書かざるを得なかった。例えばまわりくどく話す表現は、双子の語り口と外国の兵士たちの口調がきわめて似通っものになっている。また間違えた文法に関しては、主語人称代名詞の誤りと動詞を活用しないというルールに基づいてセリフを組み立てている。

こうした制約に基づいた異なる書き方は、作品中複数の言語が入り混じっている状態を浮き彫りにする。つまり物語はフランス語で書かれているものの読者は小説の登場人物たちが使う不正確なハンガリー語や回りくどい表現、ロシア語、あるいは流暢なドイツ語を意識するように仕向けられている。この4つの言語を唯一自由に行き来できるのが主人公の双子なのである

 

2:『大きなノート』一人称複数の語りで書かれ、主人公たちが見たものがそのまま描写されている。しかしそれらを分類してみるとつのパターンがあることがわかる。1つは家の天井裏から相手に気づかれずに一方的に覗き見る視点。2つ目は対象となる人物を追いかけ、あたかも双子たちがもつカメラで撮影しているかのよう、クローズアップやロングショットを組み合わせて描く視点。3つ目は主語が一人称にも関わらず、その双子たち自身が自分たちを客観的に第三者としてみている視点である。読者はこれらの切り替えられる3つの視点を通じて主人公の双子とともに『大きなノート』に描かれている事件に立ち会うことになるのである

 

クリストフは「見ること」と「聞くこと」を強調する作家であったその彼女双子が複数の言語間を自由に移動し、また空間的にも縦横無尽に自由に移動できる仕掛けを『大きなノート』で作り出したそれは彼女の特徴的な文体の陰に隠れてしまっているが、外国語で書く作家としての彼女の最大限の工夫であり挑戦であると言っていいだろう