ローベルト・ヴァルザーの『盗賊』における断片と全体

発表者
木村千恵
日時:
2016年11月5日
場所:
明治大学御茶ノ水校舎研究棟第7会議室

発表要旨:

 ローベルト・ヴァルザーの『盗賊』は、主人公がベルンの街を歩き回り、様々な出会いを重ねながらヒロインを愛し、最終的に彼女から拳銃で撃たれるという物語である。だが、こうした筋の存在にも関わらず、この小説は話を追うことが非常に困難となっている。その原因は、時間と空間が断片化され、脱中心化されているという構造性にある。この小説は、ヴァルザーが得意としていた散文小品(断想)を寄せ集めることによって組み立てられた作品である。つまり、この小説は断片性と全体性という相反する特質を同時に備えたものだと言える。
 本研究では、断片化と統合化がどのようにして起こっているかという点に注目した。断片化の原因となっているのは、近代が前提としていた人間性の統一性に対する批判的な意識、およびミクログラムと呼ばれるヴァルザー特有の書記方法である。こうした要素が、因果関係の順序にとらわれず、さまざまな断片的エピソードを非直線的に語るという特質を生み出している。また、この小説のなかで語られる断片的エピソードは、ヴァルザー自身を取り巻く様々な事象が元となっている。特に、他の芸術作品から引用された要素は、他の作品を自分自身の作品へと作り替えるという構造を形成しており、自分自身の作品を一度破壊し、新しい作品を生み出すという構造にまで発展している。これによって、断片的テクストが切断面を剥き出しにしたまま配置され、その組み合わせの異質性によって新たな表現が試みられることになる。むろん、こうして寄せ集められた断片テクストは単にばらばらに存在しているだけではない。語り手がテクストの中に散りばめた仕掛けによって物語はクライマックスへと導かれ、結末へと至る。さらに、「語られる時間」(=盗賊の物語)の結末が「語っている時間」(=語り手の物語言説)の冒頭と結びつき、この物語は円環的な構造によって閉じられる。このような枠組みを与えることによって、この小説は断片を断片の状態に留めたまま束ねあげられ、物語の非統一的な特質は肯定されているのである。