Judith Schalansky: Verzeichnis einiger Verluste におけるスイス ―「ゲーリケの一角獣」(Guerickes Einhorn)と 「森の百科事典」(Enzyklopädie im Walde) ―

発表者
細井 直子
日時:
2021年3月26日
場所:
オンライン

発表要旨:

 ドイツの作家・ブックデザイナーであるユーディット・シャランスキーのVerzeichnis einiger Verluste“ (2018)は、海に沈んだ島、絶滅した動物、焼失した絵画、廃墟となった城など、古今東西の失われた物をめぐる12の物語をおさめた短編集である。ゲーテ・インスティトゥートによるソーシャル・トランスレーティング・プロジェクトの一環として、私はこの作品を日本語に翻訳する機会に恵まれた(邦題は『失われたいくつかの物の目録』河出書房新社、2020年刊)。本発表では、まずオンライン・プラットフォームを利用した翻訳の過程について紹介し、つづいて作品中のスイスを舞台とする2つの章を取り上げた。

 

 「ゲーリケの一角獣」の章では、ドイツの物理学者ゲーリケ(Otto von Guericke, 1602-1686)が復元したとされる一角獣の骨格化石のエピソードを端緒として、作家である「私」がヴァリス地方の山小屋に滞在したときの体験が語られる。「私」は空想動物についての作品を執筆しようと構想を練るが、うまく行かず、最終的に断念して山を下りる。身体性、女性性、処女性などが物語をつらぬくテーマとなっている。ここで現地の人々が話す言葉(ヴァリス方言)は、「私」にとって理解不能な言語のままである。

 

 「森の百科事典」の章では、ティツィーノ地方に暮らしたアウトサイダー・アーティスト、アルマン・シュルテス(Armand Schulthess, 1901-1972)のモノローグという形で、彼が自宅の敷地内に創り上げた智恵の森と、彼の孤独な内面世界が描かれる。物語のテーマは知識、内と外の一体性、セクシュアリティなどである。ここでシュルテスの操る複数の言語(ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語)はもっぱら知識を記録するために使われるだけで、周囲の人々とつながりを築く役には立っていない。