ある画家/詩人の人生
―ローベルト・ヴァルザー「ある画家の人生」における知覚の変容について―

発表者:

木村 千恵

 

日時: 

2018/09/22

場所: 

明治大学駿河台キャンパス研究棟、第4会議室

発表要旨;

ローベルト・ヴァルザー(Robert Walser, 1878-1956)の作品には、文学のみならず音楽や演劇、舞踊などのさまざまな芸術作品からの影響が見うけられる。なかでも、彼の詩作や散文の執筆に深くかかわっている芸術様式が絵画である。ヴァルザーにとって、絵画によって描写することは物語を語ることと同義であり、言語によって叙述することは、絵画によって描くことと同じであるという意識がある。文学と絵画の類似性は、歴史的には「模倣」という観点から論じられてきた。だが、空間芸術と時間芸術という媒体の違いから、詩と絵画は同一視されるとともに、差異化もされてきたのである。ではヴァルザーにおいて、文学と絵画はどのように結びついているのだろうか。

本発表では、ヴァルザーの意識における詩と絵画の関係を考察するために、彼のビール時代の短編小説「ある画家の人生」(Leben eines Malers, 1920)を取りあげる。これは、ヴァルザーの兄である、画家のカール・ヴァルザー(Karl Walser, 1877-1943)をモデルとした若者が成功するまでを描いた作品である。カールの伝記的要素が取り入れられていると同時に、彼が実際に制作した絵画作品も言及されている。したがって、本作はひとりの人物についての物語を語るという文学としての側面と、絵画作品を言語によって描写するという絵画的側面を併せもつものと言える。

こうしたことを踏まえて、「ある画家の人生」の語りに注目し、作品の構造性、および絵画作品の描写方法を分析する。これによって、「ある画家の人生」は「画家」の成長と同時に、語り手の知覚の発展を描いた短編小説であることがわかる。この作品の主人公がカールの人生をなぞっているように、語り手はヴァルザー自身に重ねあわせることができる。この作品から読み取ることのできる知覚経験の変容の過程は、ヴァルザーの創作技法に根本的にかかわっているのである。

ヴァルザーにおいて、文学と絵画は類似関係にあるわけではない。絵画は世界を認識し、文学を創り出すために必要な枠組みであり、彼の認識構造のなかでは、絵画が文学よりに存在しているのである。「ある画家の人生」は、このような絵画と文学の関係、画家の兄とその後を追う詩人の弟という関係に重ねあわせた作品といえるだろう。