妊娠小説としての『フクシマへの帰郷』

発表者:

橋本 由紀子

 

日時: 

2024/06/29

場所: 

明治大学駿河台キャンパス リバティタワー6階1064教室

発表要旨;

 本発表は、ドイツ語圏スイスを代表する作家アドルフ・ムシュク(1934-)による小説『フクシマへの帰郷』(2018年)を、妊娠小説として読む試みである。「妊娠小説」というアプローチは、評論家齋藤美奈子の同名の評論に発想を借りたものではあるが、齋藤による「妊娠小説」の定義の内、「望まない妊娠を登載した小説」ではなく、「『妊娠』を標準装備した小説はとりあえずすべて妊娠小説である」という定義に依拠し、妊娠した登場人物の結末にかかわらず「妊娠」をモチーフとして使用している小説を指すこととする。『フクシマへの帰郷』は、主人公パウルが東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所の事故後の日本を訪れ、福島滞在中に運転手兼現地ガイド兼通訳の日本人女性ミツと肉体関係を持つ物語である。パウルが福島を離れ、スイスへ帰る直前に、ミツが彼を訪れ、パウルの子を妊娠したことを告げる場面で終わっている。
 本作を「妊娠小説」として読むと、来日前のパウルと妻スザンヌの会話、福島行き新幹線車中でのミツのわずかではあるが確実に効果を及ぼすボディタッチ、パウル自身のミツへの潜在的な性的好奇心など、随所に二人が肉体関係を持つに至るまでの伏線が張り巡らされている。高濃度放射線による帰還困難区域という誰もいない場所でのミツの大胆な行動からは、彼女が自分の人生を自分で決めて進んで行こうとする力強さすら感じ取れる。最後の受胎告知の場面に至っては、妊娠した結果相手に見捨てられて途方に暮れるという姿は、ミツからは微塵も見られない。時代設定が21世紀であり、ミツの妊娠の描き方に悲壮感や絶望感が感じ取れないことから、本作は20世紀に経口避妊薬が人類史に登場して以降の、妊娠を女性の不幸として描きづらくなった新しいタイプの「妊娠小説」と言えるのかもしれない。ミツの姿からは、作中には明言されていないものの、どのような理由かはさておき、とにかく彼女は子どもが欲しかったのだろうと推察される。だが、医療が発達し、法も整備されている現在、子どもを授かるには人工授精や体外受精という方法もあり、養子を取ることも可能である。性交だけが「唯一で当然の」子どもの授かり方とは言えない時代である現在、ミツとパウルの性愛描写や妊娠というモチーフ自体が、物語にどこまで説得力と必然性を与えているのかが、あらためて問われねばならないだろう。