日本における『ハイジ』受容 ―「少女小説」から「世界名作」へ

発表者
川島 隆
日時:
2021年3月26日
場所:
オンライン

発表要旨:

ヨハンナ・シュピーリの児童小説『ハイジ』(1880/81)の最初の日本語訳は、野上弥生子の『ハイヂ』(1920)である。登場人物名を日本化した山本憲美の『楓物語』(1925)が二番目の訳として知られてきたが、雑誌『少女の友』に連載された深水正策の抄訳『アルプスの少女』(1924/25)の方が少し早く、また日本における『ハイジ』受容の方向性を決定づけたという意味で歴史的な意義がある。シュピーリの原作は「子どもと子ども好きの人のための物語」という副題を添えられており、大人と子どもの両方、男性と女性の両方を読者として想定していることが窺える。それに対し、「少女小説」と銘打たれた深水訳以降、この物語は日本において少女向けの読み物と定義され、大正・昭和初期の少女雑誌に繰り返し登場することになった。そこでは、ハイジとクララの少女同士の関係性に光が当てられ、松本かつぢや蕗谷虹児といった人気の挿絵画家たちがハイジとクララの親密な友情や文通を視覚化する美麗なイラストを描いた。これは、吉屋信子の小説に典型的に見られるような少女同士の友情や「恋」に焦点を合わせる戦前の少女雑誌の文化に適合する形で『ハイジ』を受容したものである。

 

終戦直後の日本では、日本は「東洋のスイス」になるべしとの言説の追い風を受けて大量の訳本が出版され、絵本や漫画なども含めると何百ものバージョンの『ハイジ』が流通するに至る。戦後には少女雑誌は衰退し、それにともなって『ハイジ』は「少女小説」ではなく「世界名作」というカテゴリーで受容されるようになった。男女双方の読者を意識し、ペーターをハイジの重要なパートナーの位置に高めるような紹介のあり方がなされるようにもなる。こうして、日本における『ハイジ』は「ハイジとクララの物語」から「ハイジとペーターの物語」へと移行していった。大人気を博した高畑勲のアニメ『アルプスの少女ハイジ』(1974)は、ペーターの地位を大幅に向上させているという点では戦後の『ハイジ』受容と連続性があるが、クララの役割を強化して少女同士の友情の物語を描いている点では戦前の少女雑誌における受容にも親和性がある。いわば戦前と戦後の受容史を弁証法的に統合するような作品であったと言える。